今から90年前、1931年9月18日のことだ。
中国東北部の奉天(現・瀋陽)郊外の柳条湖で、日本が経営権を握る南満州鉄道の線路が爆破された。「中国側のしわざだ」。日本の関東軍が軍事行動を始め、やがて満州全土を占領した。
だが、この事件は日本側のでっちあげだった。関東軍は翌32年、清朝最後の皇帝、溥儀(ふぎ)を担ぎ出し、新たな国家「満州国」をつくる。
多様な民族が仲良く暮らす「五族協和」。武力ではなく徳で国を治める「王道楽土」。そんなスローガンを掲げたが、実態は謀略で生まれ、日本が思うようにあやつった傀儡(かいらい)国家だった。
この地の利権をめぐり対立したのは、北のソ連だった。攻めるか、攻められるか――。
敵の動きをつかむため、関東軍の特務機関は諜報(ちょうほう)活動に力をいれた。ソ連も同じように情報の網を張り巡らせ、満州を舞台に激しいスパイ戦が繰り広げられた。
特殊なセンター
1960年代初め、軍事史研究が専門のアメリカ人歴史家、故アルビン・クックス博士は、当時の将校ら36人にインタビューをしている。ときは米ソ冷戦のまっただ中。ソ連と戦った日本側から教訓を得る狙いがあったとされる。
南カリフォルニア大学の東アジア図書館に、その証言録音が残っている。満州国で何があったのか。あの戦争とは何だったのか。朝日新聞は図書館の協力で、計178時間におよぶ証言を改めて分析した。元将校たちは淡々と、ときに興奮しながら、当時の状況を語っている。
特務機関の拠点は、中国東北部のハルビンにあった。ヨーロッパ風の建物が並び、「極東のパリ」と呼ばれていた。もとは革命前のロシアが進出し、鉄道の拠点として開発した街だ。
「私どもは、ハルビンに特殊なセンターをひとつ持っていたんです」。関東軍の情報担当参謀だった大越兼二は、クックス博士に明かしている。満州国とモンゴルの国境地帯で、日本とソ連の両軍がぶつかった1939年5~9月のノモンハン事件のころだ。
プレミアムA「砂上の国家 満州のスパイ戦」
「一番大きな問題は……」。記事の後半では日本軍の諜報活動と、それを生かしきれなかった組織の問題を探ります。
一般向けの公衆無線電報を傍…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル